<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(19)
植木は谷本との会談を終えると、笹川常務を呼んで、
「谷本君は、自分をM商業開発の理事長にと考えているかもしれないが、行く気はない」
と、話したことを説明した。
笹川は、
「やはり受けなかったですか。本人がすんなり受ければ問題はなかったのですが、本人が断ったのに、もしこのまま強引に話を進めると、役員のなかからも、また行内からも、かなり反発や動揺が出るかもしれません。これは白紙に戻した方が良いかもしれませんね。そうであれば頭取がおっしゃられたように絹田優作専務を退任させ、その後任に谷本専務ということで話を進めていきましょう。プライドの高い絹田専務も、M商業開発を勧めても受けないと思いますが、維新銀行の監査役への就任だったら受けると思います」
と、次の案を口にした。
「うーん そうだなぁ。この件は白紙に戻そう。後のことは今日一晩ゆっくり考えてみよう」
と言って、頭取室を後にした。
翌朝、植木は腹心の笹川を呼び、
「今日、君がM商業開発の戸田理事長にアポを入れて、谷本君に後任を打診したが断られたと丁寧にお詫びの報告をしとってくれないか」
と話し、谷本専務をM商業開発の理事長に転出させる人事案は白紙に戻ることになった。
この出来事を境に植木頭取と谷本専務との二人の間に、大きな確執の火種が生まれることになった。
植木頭取と笹川常務の考えていたのは、谷本専務をM商業開発の理事長に転出させて、維新銀行内に盛り上がった谷本専務の頭取待望論の目を摘むことにあった。
しかしこの案は「谷本が応諾すればとの条件付き」であり、「応諾する可能性は低いが、もし谷本が受ければベスト」との考えだった。谷本がM商業開発の理事長を受けなかったことが、後に展開する「頭取クーデター事件」の序章となった。
次に手をつけたのは、当初から実行する計画で練っていたものであった。それは絹田元会長の長男で、首都圏本部長に就任していた絹田優作筆頭専務を退任させ、その後任に谷本専務を充てることであった。
絹田専務の父、絹田周作は、植木が頭取就任後に発生した定期証書偽造事件の責任を取り、会長から取締役相談役に退いたが、病死するまで実に41年間も取締役を続けており、維新銀行に大きな影響力を残していた。植木頭取を始め15名の役員の半数以上は絹田会長が指名した役員であり、絹田に恩義を感じる役員が多く残っていた。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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